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あの日(小保方晴子) を読んで
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斜め読みではあるが、『あの日 小保方晴子』(以下、「手記」と表記)を読んだ。 ここで文学としての評価をするつもりはまったくないが、科学界を描いた小説を読んでるようで、涙なくしては読めないものだった。 この「手記」には、どの程度のフィクションが含まれているのかは知らない。 おそらく、10~30%程度のフィクションや粉飾が入っているのだろう。 なぜなら、よほど詳細な日記でも付けていなければ書けないような具体的・詳細な記述が散見されるからである。 また、どうしても自分を擁護・粉飾したくなりがちなことは、一般的な人の特性(人情)だとも思慮するからである。 しかし、このような枝葉のことは気にする必要はない。 インターネット上の大方の意見にもあるが、読後の小保方氏への印象は、読む前とそれほど変わることはなかった。 不思議なことではあるが、小保方氏に批判的な方が読むと「手記」は小保方氏同様くだらない本に見えるし、擁護的な方が読むと肯定的に見えるようであり、同じ本を読んでいるにもかかわらず評価が180度分かれるようだ。 あえて誤解を恐れずに言えば、否定派の多くの発言はある程度論理的な感じがし、擁護派の多くの発言は情緒的な気がする。 賢明であるはずの科学者や科学ジャーナリストたちがなぜ小保方氏の言うことを理解できないのかが不思議でしかたがない。 業界がよってたかって、小保方氏を排除しようとしているのではないかと改めて感じた。 否定派の言っていることがほとんど理解できないので、一見中立的な立場を取っている下記投稿を例に考えてみる。 『小保方晴子氏が、手記『あの日』で主張した3つのポイント【早わかり】』(坪井遥) (1)「もう僕のことを必要としてくれなくなって…」 一番緻密な多能性幹細胞(STAP細胞)の証明方法はキメラマウス作製可能性であると認知されているが、それを確認できるのは若山先生のみだそうである。 なのに、その確認能力のない小保方氏がなぜ論文の全責任を負わなければならないのかという理屈か理解できない。 この主張のどこに問題があるのかを教えていただきたい。 キメラマウス作製可能性を評価できるのは日本では若山先生しかいないのだろうか。 であれば、若山先生の評価は誰がするのか、等々、いろいろ素朴な疑問が出てくる。 (2)図表加工が改竄を疑われるとは「思いもしなかった」 論文(レター)の責任者(シニアオーサー)は若山先生である。 なぜその下で協力していた小保方氏だけが全責任を負わなければならないのかがまったく理解できない。 「半沢直樹」(池井戸潤)の「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」を思い出してしまう。 (3)メディア、理研、早稲田大学への批判 具体的な氏名を明記しての批判にはちょっと驚かされた。 小保方氏はこれまで、まとまった「釈明」機会を与えられていなかったため、このような「手記」を出すに至ったと、推察する。 この最後になるかもしれない「釈明」までも社会から抹殺されるわけにはいかない。 そのために、あえてリスクを侵して対象者の具体名を挙げた批判をしたのではと推察される。 これによって、具体的に批判された人はこの「釈明」を無視できなくなると考えたのではないだろうか。 批判対象者が限定的に明示してあるが、実際には当該者以外にも批判されるべき方がいるのではとか、黒幕が他にいるのではなどと考えたりもする。 焦点がぼけてしまうことを恐れ、あえて釈明を期待する方を限定して指名しているのではないだろうか。 「手記」を批判することはそれぞれの方の表現の自由である。 しかし、「手記」を批判することによって、小保方氏があえてリスクを冒してまで具体名を挙げて批判した方々を擁護し、それらの方々の回答の不要を訴えることだけは止めていただきたい。 強い者が弱いものを否定するからには、それなりの客観的説明をする義務があると思慮する。 批判された弱い者は、その説明を求める権利があるのではないだろうか。 疑わしいというだけで弱者を有罪にし、弱い者に無実を証明しろと迫るのは筋違いだと思慮する。 小保方氏を擁護する方が情緒的なことは構わない。 批判している一般の方は別としても、科学者や科学ジャーナリスト・マスコミの方々には客観的事実をもとにした、枝葉の議論ではなく、公平で論理的な批判をこの機会に改めて要請する。 冷たい表現になるかもしれないが、小保方氏の論文の評価もたしかに重要だが、小保方氏の抹殺やSTAP細胞の存在性が否定したことが、世界や理研などの重大損失になるのではと危惧している。 参考:「[[STAP 細胞の研究論文に対する理研の対応への意見]]」 #hr ―2016.2.3―
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斜め読みではあるが、『あの日 小保方晴子』(以下、「手記」と表記)を読んだ。 ここで文学としての評価をするつもりはまったくないが、科学界を描いた小説を読んでるようで、涙なくしては読めないものだった。 この「手記」には、どの程度のフィクションが含まれているのかは知らない。 おそらく、10~30%程度のフィクションや粉飾が入っているのだろう。 なぜなら、よほど詳細な日記でも付けていなければ書けないような具体的・詳細な記述が散見されるからである。 また、どうしても自分を擁護・粉飾したくなりがちなことは、一般的な人の特性(人情)だとも思慮するからである。 しかし、このような枝葉のことは気にする必要はない。 インターネット上の大方の意見にもあるが、読後の小保方氏への印象は、読む前とそれほど変わることはなかった。 不思議なことではあるが、小保方氏に批判的な方が読むと「手記」は小保方氏同様くだらない本に見えるし、擁護的な方が読むと肯定的に見えるようであり、同じ本を読んでいるにもかかわらず評価が180度分かれるようだ。 あえて誤解を恐れずに言えば、否定派の多くの発言はある程度論理的な感じがし、擁護派の多くの発言は情緒的な気がする。 賢明であるはずの科学者や科学ジャーナリストたちがなぜ小保方氏の言うことを理解できないのかが不思議でしかたがない。 業界がよってたかって、小保方氏を排除しようとしているのではないかと改めて感じた。 否定派の言っていることがほとんど理解できないので、一見中立的な立場を取っている下記投稿を例に考えてみる。 『小保方晴子氏が、手記『あの日』で主張した3つのポイント【早わかり】』(坪井遥) (1)「もう僕のことを必要としてくれなくなって…」 一番緻密な多能性幹細胞(STAP細胞)の証明方法はキメラマウス作製可能性であると認知されているが、それを確認できるのは若山先生のみだそうである。 なのに、その確認能力のない小保方氏がなぜ論文の全責任を負わなければならないのかという理屈か理解できない。 この主張のどこに問題があるのかを教えていただきたい。 キメラマウス作製可能性を評価できるのは日本では若山先生しかいないのだろうか。 であれば、若山先生の評価は誰がするのか、等々、いろいろ素朴な疑問が出てくる。 (2)図表加工が改竄を疑われるとは「思いもしなかった」 論文(レター)の責任者(シニアオーサー)は若山先生である。 なぜその下で協力していた小保方氏だけが全責任を負わなければならないのかがまったく理解できない。 「半沢直樹」(池井戸潤)の「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」を思い出してしまう。 (3)メディア、理研、早稲田大学への批判 具体的な氏名を明記しての批判にはちょっと驚かされた。 小保方氏はこれまで、まとまった「釈明」機会を与えられていなかったため、このような「手記」を出すに至ったと、推察する。 この最後になるかもしれない「釈明」までも社会から抹殺されるわけにはいかない。 そのために、あえてリスクを侵して対象者の具体名を挙げた批判をしたのではと推察される。 これによって、具体的に批判された人はこの「釈明」を無視できなくなると考えたのではないだろうか。 批判対象者が限定的に明示してあるが、実際には当該者以外にも批判されるべき方がいるのではとか、黒幕が他にいるのではなどと考えたりもする。 焦点がぼけてしまうことを恐れ、あえて釈明を期待する方を限定して指名しているのではないだろうか。 「手記」を批判することはそれぞれの方の表現の自由である。 しかし、「手記」を批判することによって、小保方氏があえてリスクを冒してまで具体名を挙げて批判した方々を擁護し、それらの方々の回答の不要を訴えることだけは止めていただきたい。 強い者が弱いものを否定するからには、それなりの客観的説明をする義務があると思慮する。 批判された弱い者は、その説明を求める権利があるのではないだろうか。 疑わしいというだけで弱者を有罪にし、弱い者に無実を証明しろと迫るのは筋違いだと思慮する。 小保方氏を擁護する方が情緒的なことは構わない。 批判している一般の方は別としても、科学者や科学ジャーナリスト・マスコミの方々には客観的事実をもとにした、枝葉の議論ではなく、公平で論理的な批判をこの機会に改めて要請する。 冷たい表現になるかもしれないが、小保方氏の論文の評価もたしかに重要だが、小保方氏の抹殺やSTAP細胞の存在性が否定したことが、世界や理研などの重大損失になるのではと危惧している。 参考:「[[STAP 細胞の研究論文に対する理研の対応への意見]]」 #hr ―2016.2.3―
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