「イスラム国」によって殺害されたとみられる後藤氏の行動に想う

Last-modified: Tue, 01 Jan 2019 21:06:34 JST (1964d)
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 過激組織「イスラム国」の脅威等についてよく認識しているはずのジャーナリスト後藤健二氏がなぜ「イスラム国」の人質になってしまい、殺害されるような状況になったのだろうか。
後藤氏についてはメディアで拝見した程度であり、「イスラム国」についても門外漢である者に理解できるはずもないが、客観的に見ていると、単に日本政府や国民に迷惑をかけただけの犬死以下の行為に見えてしまう。

 NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰を見ていて思った。
後藤氏のように、周りに迷惑を掛けながら死ぬと分かって行動を起こす私の理解を超えた人に、「イエス・キリスト」や「吉田松陰」などがいる。

 しかし、歴史というマクロでみると、キリストの死によって、キリスト教が成立・発展し、我々は「紀元前・紀元後」などという表現を使うようになっている。
また、松陰の死によって、日本の明治維新が起きたと言う人もいる。

 同様に、後藤氏の死は、歴史的に見てこのようなエポックメーキングな意味を持つのだろうか。だとすれば、それはどの程度のどのような変化だろうか。
今、イスラム諸国を中心とした各国も、後藤氏の死に対し哀悼の意を示しているように思え、日本政府はテロに屈しないと世界に明言している。

 ところで、政府が危険地域からの強制力のある退避勧告を出せるかについて、憲法で保障された「居住、移転の自由」に反するのではないかとの議論があるそうである。
これは優先レベルが違うと思慮する。

 たとえ、自己責任での行動だと言っても、政府が当人の安全を守る義務は残るわけだから、どうしてもそのような行動をしたいのであれば、脱藩して(国籍を外して)行動していただきたいものである。しかし、冬山登山などのように国内での事件・事故であれば、それも関係なくなる。
個人の自由があまりにも尊重され過ぎるのもいかがなものか。


―2015.2.3―