「憲法9条がノーベル平和賞に」の推薦受理
「日本の憲法9条がノーベル平和賞に」がノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理した旨の連絡があったそうだ。
冗談としか思えない話だが、事実のようである。
「憲法9条」が受賞の対象になるわけもなく、誰が受賞対象者かも分からない。
しいて言えば、マッカーサーなのかもしれないが、故人である。
それはさておき、「日本の憲法9条」がどうして「平和への貢献」につながるのだろうか?
「日本が憲法9条を保持していること」と「日本が戦後70年間平和を維持してきたこと」とは、たまたま期間が一致しているだけのことであり、それらの因果関係がまったくあいまいで理解できない。
「玄関には鍵が掛かっていません」と張り紙をしておいたら70年間泥棒が入らなかったので、これからもこの張り紙をしておけば鍵を掛けなくても泥棒が入りませんよ、と言っているようなものである。
単に張り紙をしたことが泥棒被害の有無に関係があるとは思えない。
その間、泥棒が入らないように誰かが家の周りを常に見回りなどをしてくれていたのかもしれない。
憲法9条があっても70年間平和に過ごすことができたことを感謝するということなら理解できるが、話が全く逆である。
ノーベル委員会の推薦受理が、単なる書類形式選考に問題がなかったということであれば良いが、内容も含めて検討に値するので受理したということであれば、何らかの悪意ある政治的意図があるように思える。
すべてが日本人かどうかも分からないが、たかが数万人の署名、されど数万人である。
陰にそそのかした者がいるのかどうかは知らないが、困ったものである。
賞の性格上やむを得ないのかもしれないが、必ずしも具体的な平和貢献につながっていない平和賞が過去にも何度も存在しており、考えすぎかもしれないが、本案件も受賞される可能性がないとは言い切れない。
受賞が決定してからでは遅いので、「日本国」として、陰に陽に何らかの対処を望む。
―2014.5.4―