オリンピックの獲得メダル数目標に思う

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 17:48:26 JST (2019d)
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 リオデジャネイロでのオリンピックにおいて、日本は「金メダル12個、総メダル数41個」を獲得することができた。 日本選手団は「金メダル14個、メダル総数30個以上」の目標を掲げており、鈴木大地スポーツ庁長官も今回の結果に対して、それなりの評価をしているようである。 日本代表選手団の橋本団長は、次の東京オリンピックで「1競技1メダル獲得が最低ラインで、獲得総メダル数82個以上」と宣言したそうである。

 この計画目標が、高すぎるのか妥当なのかは知らないし、そこまでして、メダル数にこだわる必要があるのかどうかも知らない。 ここでテーマとしたいのは、日本では、計画目標・予想・希望的観測などの言葉が曖昧なまま話題にされ、責任者も曖昧であることである。

 希望的観測とは、起こりうるリスクを想定せず、楽観的に予想することである。 最大予想値と言えるかもしれない。
 予想とは、第三者が何らかの基準で客観的に結果を想像することである。
 計画目標とは、当該の責任者が自らの責任において設定するものである。

 希望的観測の場合は、一般的に責任を伴わない。
 予想の場合は、予想した側が責任をもつ場合が希にある程度であり、予想された側には本来全くの責任がない。 ただ、現実はそう単純ではない。
 計画目標の場合は必ず責任が伴い、基本的に連帯責任であり、設定した者が総責任を負うのが一般的である。

 官僚を中心とした日本では、この計画目標が曖昧に処理され、責任が取られずに済まされていることが多くないだろうか。 権利と義務が独立に存在する。 目標を設定する側は、目標を設定される側に対してどのような達成環境を提示するかを全体計画とともに示す必要がある。 目標を提示された側は、その提示された計画と環境のなかでその目標を達成することになる。 もちろん、日々発生する想定外の事項に対して、お互いのコミュニケーションを取り、対処していく必要はあるだろう。

 そのような当たり前の慣習がないから、国立競技場建設においても簡単に目標が変えられたり、環境が変えられたリするのだと推察する。 そして誰が責任者なのかすら明確になっていないような信じられないことが発生してしまう。

 信じられないことだが、目標を設定する者、計画を設定する者、環境を設定する者、それぞれが違っていたり、複数いたりするのである。 責任も取らないくせに、目標を設定するもの、責任も取らないくせに計画を変える者、責任も取らないくせに環境を変える者、等々である。

 まず、リオデジャネイロでのオリンピックにおける良かった点、反省すべき点を少なくとも競技別に検討してほしい。 そして、東京でのオリンピックで各競技がメダルを取るためには、それぞれどのような環境を設定しなければならないのかを検討していただきたい。

 吉田沙保里選手が金メダルを取れず、四連覇できなかった。 試合終了直後に涙を流して動かなかったのはいかがなものかとも思ったが、後に「負けた人の気持ち分かった」と言ったことがせめてもの慰めだった。
 吉田選手が、なぜオリンピックを前にしてALSOKを退社してフリーになるという大きな環境の変化を選択したのかは知らない。 なぜ四連覇が掛かっている吉田選手に日本選手団主将という重責をあえて担わせたのかが理解できない。

 反省すべき点は反省して、次回に活かしていただきたい。
 ちなみに、反省とは単に非を認めることではなく、その問題点に対して、今後の対処法を見つけることである。

 このオリンピックを象徴的なモデルとして、我々は、第三者的な評論家ではなく責任ある毎日を送っていきたいものである。


―2016.8.28―