オリンピックやパラリンピックの賞金支給について

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 17:42:20 JST (2019d)
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 パラリンピックの閉会式が行われ、リオでのオリンピック・パラリンピック(以下、五輪)が終了した。 熾烈な招致合戦の末、次回は東京開催が予定されているそうである。 なぜ各国各市は五輪の招致にそれほど熱心なのだろうか。 それほど五輪のコストパフォーマンスはよいのだろうか。

 このコストパフォーマンスのよさの原因の一つとして、五輪出場選手に対しては賞金を支払わなくてもよいということがあるのであれば、問題ではないだろうか。 熾烈な招致合戦の結果、ようやく開催の権利を得たというのであれば、開催者(IOC or 開催地)は選手に対して賞金ぐらい出してもよいのではないだろうか。

 放映権を獲得したメディアやスポンサー企業、会場で観戦した客は、賞金相当額を支払うべきではないだろうか。 世界的な不況に向かっていると言われる世知辛い世の中で、大の大人の選手に一生懸命戦わせて、その対価も支払わずに金銀銅のメダルの授与だけですませようというのはいかがなものだろうか。

 当初、五輪はスポーツを愛するアマチュア選手に対して、活躍の場を提供してあげていたという位置づけだったかもしれない。 現状の五輪は、国対国の戦いであり、勝利国に賞金を与える必要もなく、選手は出場国から賞金をもらえばよいという考えなのかもしれない。 しかし、現状では世界的に注目と感動を与える、権威ある世界的スポーツ大会になろうとしている。

 現状、単一競技大会としては、「ワールドカップ」などと言われるさまざまな競技大会があるが、五輪は総合スポーツ競技世界大会として位置づけられていると思う。 総合競技大会の良さは、各競技のトップクラスが一堂に会することによるスポンサーや客、選手にとっての相乗効果がでることと、マイナー競技に対するアピールの場の提供ということが挙げられると思う。

 五輪は、ワールドカップに対抗する必要性があるかどうかは不明だが、ワールドカップと同様に賞金も出すことを検討すべきだと考える。 世界のトップクラスの選手が気持ちよく活躍できる、権威ある総合スポーツ競技世界大会を目指して欲しい。 そのためには、決勝は当然として予選に対しても少なくとも勝者には、いくばくかの賞金を支払うべきだと思う。 メダルをもらうのは記念になり名誉なことではあるが、一般的に換金できないものである。

 予選大会でも客は入っているのであり、出場者は賞金をもらう権利はあると思う。 一部団体競技で、予選のメンバーと決勝のメンバーが異なるチームがあったようであり、予選メンバーに対してもそれなりの配慮が必要だと考える。 五輪出場者は帰国後、その成績に応じて報奨金の支給があるだろうという考え方のようでもある。 しかし、その国や競技によって待遇の差があまりにも大きいようである。 国はある意味、スポンサーとして報奨金を支払っているだけだと解釈する。

 どのような競技に対しても同じメダルがもらえるようだが、賞金については競技によって差が出てくるのは仕方がないと思う。 集客力や視聴率など人気に応じて差をつけて良いと思う。 競技間での競争の原理を働かせることも必要だと考えるからである。 場合によっては、不人気な競技は廃止の対象になっても仕方がないだろう。 いわゆる、メジャー競技とマイナー競技を同一に扱おうとすると、メジャー競技のレベルが下がってしまうことにも留意する必要がある。 ただ、マイナースポーツの支援も当然配慮した賞金にする必要はある。
 また、獲得した賞金はすべて選手の取り分になるのか、周辺関係スタッフにも相応の配分が必要かはその競技や背景によって異なるだろう。 それは開催者側が考える問題ではない。

 現在、IOCの悪い噂しか聞こえてこず、どのような活動をしているのかも知らないが、スポーツ後進国への日ごろの活動支援もしてほしいものである。 ちなみに、五輪開催に当たって、たくさんのボランティアスタッフも活動しておられると推察するが、これらの方々へのある程度の報酬支給も十分であるかを検討する必要があるのではないだろうか。
 IOCは、グローバルな視野でのスポーツ振興にも寄与していただきたいものである。

 スポンサー企業が活躍している選手に対して報奨金を直接選手に支給するのはその企業の自由であり、五輪賞金とは直接関係ないと考える。 公務員の選手への国や自治体による報奨金には、一般企業と違い難しい課題があるのかもしれない。

参考、「五輪に賞金を出すべきだ


―2016.9.19―