公共放送(NHK)について想う

Last-modified: Thu, 08 Nov 2018 15:54:34 JST (2018d)
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 高市総務大臣は、NHK放送センターの建て替えについて、受信料で賄われるものであり、国民への設置の合理性と妥当性の説明責任が果たされればそれで良いとの発言があったようである。 果たしてその説明責任が果たされるだろうか。また、その説明責任が仮に果たされたとしても、受信者はどのような手段でその意思表示をすればよいのだろうか。

 日本放送協会(NHK)以外の民間放送局であれば、スポンサーからの圧力があったり、視聴者によるその局への視聴ボイコットなどにより、何らかの意思表示が可能だが、半強制的な受信料収入によって経営されているNHKにとって、これらの行為は痛くも痒くもない。

 NHKは税金によらない公共放送局として、政府からもスポンサーからも独立しており、自由放任の放送局になってはいないだろうか。 一般的には、放送局間での自浄作用が働くものだが、ことNHKに関しては公共放送であることもあり、よほどの失態でもない限り批判されることもないようである。 せいぜい、インターネット上での批判でとどまってしまう程度である。

 仮にNHKが批判される事態になったとしても、一次原因の該当者が切り捨てられるか、NHK会長が頭を下げるぐらいで終わる。 二次原因や三次原因が追及されるなどして、一般NHK社員に波及するような職場改善がなされることはまずないと想像される。

 国鉄や電電公社などが民営化されて久しいが、NHKの公共性の是非に対する見直しが、そろそろ必要ではないだろうか。

 現状のNHKは、国営放送ではなく公共放送局なので、政府寄りの放送はできない。 仮に、少しでも政府寄りの発言をしようものなら、野党からの厳しい指摘がなされる。 野党や他マスメディアなどからの「政府寄り」という指摘を確実に回避することのみが、公共放送局であるNHKにとっての至上命題となっていると思慮する。

 この「政府寄りでない(政治的公平性)」という認識はかなり曖昧なものであり、その時々の世論によっても変わりうる非常に流動的なものであるため、正確に政治的公平性のある放送を行うことは不可能である。 そのため、NHKは政治的公平性を確実に確保するために、やや反政府寄りの放送をしなければならない宿命を背負うことになる。

 政権交代が頻繁に発生している一般の国であれば、その政党間の間を取ることによって、その国の政治的公平性をある程度位置づけることができる。 しかし、日本のように自由民主党一党にほぼ政権を任せているような国では、万年与党の自民党と他の無責任野党との間を取ったところが政治的公平として位置づけられてしまう傾向になる。

 結果として、NHKは常に反与党の放送をすることになり、NHKの報道が政治的公平であると信仰している受信者は、次第に反自民党の思想に洗脳されていくことになってしまう。 他の多くのマスメディアも、公共放送であるNHKを基点として右派や左派の位置付けをするようになる傾向があるため、マスメディア全体も左傾化してしまうことになる。

 これが国内に止まっていればまだ許容範囲だと言えるかもしれないが、国際放送においても政府寄りの放送ができないのでは非常に問題が発生する。 他国語放送で行われる国際放送になると、いったいどこの国の放送局かがまったく分からなくなってしまう事態になりかねない。

 内閣総理大臣により任命されることになっているNHKの経営委員だが、経営委員の権限は放送法第29条によって規定されているのみであり、NHK内部に対して意見を言うことなどに対しても厳しく制限されている。

 誰からも非難される仕組みのないNHK職員は、一般公務員以上に甘い労働環境になっていることが十分懸念される。 
 公共放送であるNHKが、一般民間放送局と同レベルで放映権を争うのもフェアではないと思慮する。
 受信料で作成した番組に対して、「オンデマンド」と称して、再度追加料金を請求するような仕組みもいかがなものか。

 公共放送などという、矛盾の多い中途半端な放送局を廃止し、国営放送と民間放送の二つを明確に分離して運営することを早急に検討していただきたい。

 与党の宣伝をされても困るが、国会審議を経た、「特定秘密保護法」や「集団的自衛権」、「マイナンバー制度」等々の法律などについての政府見解や国の仕組みなどについて、国民や海外に対して積極的にしかも丁寧に広報していただける放送局が是非必要であると思慮する。

 日本政府に批判的な外国よりの放送局に対して、受信料を支払い続けるのはそろそろ終わりにして欲しいものである。


―2016.2.18―