忖度について考える

Last-modified: Sun, 21 Oct 2018 10:00:59 JST (2036d)
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 最近、「忖度」という言葉が問題になっている。 いかにも「忖度」とは日本の悪い習慣かのように扱われているような気がする。  「忖度」とは、他人の心をおしはかることであり、どちらかと言えば、日本の良い習慣だと認識している。 ここで他人というのは、自分ではないということであり、赤の他人とは限らないし、組織が対象であってもよい。

 他人の心をおしはかること自体は、日本人に限らず、それなりの大人であれば誰でもする普通のことである。 「忖度」が日本特有の習慣と言われるのは、日本人の場合、「忖度」した結果が、その後の行動に比較的大きな影響を与えるからだと思う。 日本人の良い習慣として、「忖度」することによって、相手の立場に立った「おもてなし」などの行動をとろうとすることである。

 メディアなどが問題としている「忖度」とは、次のような自己保身の行為であり、日本の美しい習慣とはまったくの別物だと思う。
・「忖度」した結果、規則違反をする
 「忖度」して相手が利益を得るように規則を曲げたり、極端に公平性を欠くような対応を取ったりすることによって、自身の権限を誇示したり、相手の見返りを期待したりする。
 役人が政治家など有力者に対して行うのが、典型的なケース。
・「忖度」させることにより、自身は責任を取らない
 自身が直接命令せず、「忖度」させて相手に自身の希望通りの行動をさせ、これにより問題が発生した場合の自身の責任を回避しようとする。
 悪い上司が部下に対して行うのが、典型的なケース。
・「忖度」により、相手を陥れる
 周りを「忖度」することによって、自身にとっての最も都合の良い行動を探る。または、相手にとっての最悪の行動を探る。
 弱者が生き残るために行うのが、典型的なケース。

 これらのケースは「忖度」そのものが悪なのではなく、「忖度」して規則を曲げたり、「忖度」を当てにして明確な指示を出さなかったり、「忖度」して相手を陥れようとしたりする行為が悪いのである。 メディアや野党政治家は、「忖度」を問題視するのではなく、それにより取られた行動自体を問題視してほしい。 そうでなければ、問題点の本質にはたどり着けないし、再発防止にはならないと考える。

 野党政治家は単に与党政治家を攻撃することだけを目的としているため、役人の行為が批判の対象にならないような気がする。 役人が「忖度」することによって規則を曲げることが問題であり、政治家が役人に「忖度」させることにより自身が責任を取らないことが問題なのである。 政治家や役人が「忖度」することによって、国民の利益になる行動をとろうとすること自体は良い行為だと思慮する。

 「やぶさかではない」という言葉がある。
 努力を惜しまない、という意味である。 仕方なしにする、という意味に誤解している日本人がけっこういるそうだ。 「やぶさかではない」には、積極的には実行しないとか、それ以外は実行しないなどの意味が言外に込められているかもしれない。

 与党政治家が実行するには「やぶさかではない」と言ったことに対し、野党政治家や左翼メディアが実行する気があるのかとバイアスした非難ばかりするため、一般国民は意味を取り違えるようになったのではと想像している。 野党政治家がバカなことを言うのは思想の自由かもしれないが、せめてメディアには正しい日本語に従った素直な報道をしていただきたい。
 このようなメディア報道も政治的公平性の一つとは言えないだろうか。


―2017.4.12―