政治的公平性に対する電波停止発言に対する抗議会見について思う

Last-modified: Thu, 08 Nov 2018 15:55:52 JST (2018d)
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 高市総務大臣が、繰り返し政治的公平性を欠く放送を行った放送局に対しての「電波停止の可能性」発言をしたことに対する「抗議(怒っている)会見」がなされたそうである。
 メディア関係者によるメディアに対しての会見なので、異様な光景だったのではと推察する。 メディアの長老がメディアの現場担当者に会見(説教)した形になっていたのではと勝手に想像してしまった。

 田原総一朗氏はリスペクトしているジャーナリストの一人ではあるが、全体として何を言いたいのかよく分からない会見だと感じた。論点がよく分からない会見内容を乱暴ではあるが、いくつかの論点について考えてみる。

1.政治的公平性は誰が判断すべきものか
 会見では、放送事業者の自律的な倫理規定として政治的公平性が維持されるものであり、権力側が判断することではないと主張している。
 高市大臣も委員会で「放送事業者が自律的に行うのが基本であるが、行政から何度言っても極端な違法行為があった場合は電波停止もあり得る」と言っており、遠慮した放送法を遵守した発言だと思慮する。
 法律を遵守しない者に対して行政が法に則って指導し、それでも従わない者には罰を与えるのは当たり前のことではないだろうか。 それに対して不服であれば、司法に訴えればよいということであり、メディアだけが特別扱いを受けるという理由が分からない。

 メディアは国民の負託を受けてというが、一般の業績を上げている民間企業のほとんどは国民の負託を受けて事業を行っているが、警察等の行政チェックを何らかの形で受けている。

2.政治的公平性の特別性
 政治的公平性は一般の公平とは違うそうである。
 確かに、国民生活における影響の大きさ・重要性については理解するが、それほど特別に違うべきものとは思わない。 メディアとしての責任意識として、政治的公平性を特に自律的に重要と考えること事態は大切なことだと思慮するが、だからと言って特別扱いを政府に要請するのはどうか。 まして、政治権力とメディアの戦争であると言い切るのはいかがなものか。

 政権は報道番組のすべてをチェックしているというのは、メディアの意見の有効なものを参考にするためではないだろうか。 メディアは自分たちの報道内容にもっと自信を持ち、国民が選んだ政府を信頼して欲しいものである。

3.政治的公平性とは
 会見では、政治的公平性は論説委員長の延長線上にあると基本的に考えているそうである。
 これでは、論説委員長の考えが公平性の基軸だということであり、別途BPOのチェックがあるとはいうものの、メディアの論説委員長は何様かと言いたくなる。 もう少し、客観的な基準があっても良いのではないだろうか。

 このような考えを根拠として、安保法制は間違っているという報道が政治的公平な報道になるそうである。 確かにこれでは、メディアが政治的公平性を欠くことはほとんど発生しないような気がしてくる。

 丸川環境大臣の「何の科学的根拠もなく決めた」発言の批判報道も政治的公平性があることになるのだろうか。 あの発言がTPOからみて適切だったかどうかは別にして、何の科学的根拠も示さずに批判報道だけをしているメディアが、政治的公平性があると言えるのだろうか。

4.メディアは、政治権力によって自主規制している
 トップは総理と会食をしたりしており、メディアは政治権力によって自主規制・そんたく・委縮・自粛させられているそうだ。 メディアが自律的に政治的公平性を維持しようとすることを自主規制だというのであれば理解できるが、会食と自主規制とはどのように繋がるのだろうか。

 トップが総理と常にコンタクトが取られているということはメディアの意向が総理に伝わっているということであり、メディアとしては好ましいことではないだろうか。 まさか、メディアのトップが、総理から政治的公平性について批判されっぱなしで帰ってくるとでも、メディア関係者は思っているのだろうか。 仮にそうだとすれば、会見者たちが非難すべきは政権ではなく、メディアのトップだということになってしまうので、そうだとは思いたくない。

 金平茂紀執行役員は、TBSでは編集権を現場に与えていて編集について意見を言わないそうだ。 権力側とやらは、どのようにしてトップを通さずに個々の編集者に圧力を掛けているというのだろうか。
 余計なことだが、執行役員は編集方針を丸投げして、いったい何を執行しているのだろうかと素朴な疑問を持ってしまった。

 ちなみに、放送局の組合についても、経済闘争をしても政治闘争はしないそうである。 これも政権が悪いからなのだろうか。

5.その他
・政権批判の強い評論家はしだいに出演させなくなってきているそうである。
 メディアで、政権批判をする評論家を探すより、政権寄りの評論家を探す方が難しいと感じるのは気のせいか。
 集団的自衛権を論じていた時に、憲法学者にいつのまにか合憲を言わせないような世論が醸成されていったのは記憶に新しい。

・2015年の世界報道の自由度ランキングにおいて、日本は180カ国中61位だそうである。
 ちなみに、最近で日本が上位だったのは民主党政権時(2010年)の11位 だそうである。
 ランキングをしている国境なき記者団とはどのような団体かは知らないが、日本の民主党政権時で急激に上昇するようなランキングということで、その団体の思想方向がなんとなく想像されてしまう。

・NHKに対する不信感がすごいそうである。
 これは前回にも言ったが、政府の干渉がないことの証明だと思う。

 ところで、これだけ問題になっている放送法における「政治的公平性」というものは、本当に必要なものなのだろうか。 各メディアの論説委員長が政治的公平性の基準だというのであれば、メディアは「政治的公平性不要論」を唱えた方がより有効ではないだろうか。

 終わりに、弊ブログを書いていて気づいたのだが、簡潔・適格に記載された、同様主旨と思われるブログを発見したので記載しておく。(「本当の問題は高市総務相ではなく放送法と電波独占ではないだろうか? 」)
 弊ブログは、本ブログを参考にして書いたものではないし、せっかく書いたので駄文ながら投稿する。


―2016.3.3―