日韓慰安婦問題解決に思う

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 18:54:39 JST (2019d)
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 事前予告があったとはいえ、年末になって急に日韓慰安婦問題が最終的かつ不可逆的な解決をしたそうである。 年内にどうしても解決しておきたいという双方の認識の結果、年末ギリギリでの合意に漕ぎ着けたということのようだが、年内の報道番組も終了し、重大ニュースや流行語大賞も発表されてからの合意には作為的なものを感じてしまう。

下記のものが主な合意内容のようである。
(1)日本軍関与を認め、政府として謝罪する
(2)日本政府が約10億円を出し、韓国の財団を設立し、元慰安婦に支援する
(3)問題を最終的かつ不可逆的に取り扱う

 もともと契約というものは、素人には分かりにくいものだから、当然かもしれないが、何を合意したのかがよく分からない。 はっきり分かることは、実は信じたくないことだが、日本政府が10億円出して謝罪したことぐらいである。 一体、この合意にどのような意味(良さ)があるのだろうか。

1.日本軍関与と日本政府の謝罪
 日本軍の関与とは何か。 日本軍は何か詫びなければならないようなことをしたのだろうか。 韓国の民間団体が何を言おうと彼らの自由だが、政府として行動するからには、それなりの客観的根拠に則って行動して欲しい。 どの行為が某軍での謝罪事例と同等の行為であるとか、このような悪行が世界史的に例を見ない悪行であったとかを示すべきではないだろうか。 この件に関して、個人的行為と政府としての行為とが、いろんな意味で混在してはいないだろうか。

 仮に、百歩譲って、日本軍の悪行があったとして、なぜ現政権が詫びなければならないのだろうか。 確かに昭和天皇により、戦後の日本の国体は護持されているが、当時の日本軍はGHQにより崩壊させられ、東京裁判で罰せられている。 なのに70年たった後の政権がなぜ謝罪する必要があるのだろうか。 これは豊臣政権時の悪事を徳川政権が詫びるようなものである。 少なくとも、毎回、大統領が変わったら方針が簡単に引っ繰り返るような韓国に言われる筋合いはない。

2.日本政府の約10億円での韓国財団による元慰安婦支援
 10億円は、本当に元慰安婦支援のみに使われるのだろうか。 慰安婦像の撤去などにお金が使われるのであれば良いが、財団に群がる人たちや戦時中と同様に、元慰安婦に群がる親族にお金が回るだけの話ではないだろうか。 最悪の事態として絶対に防がなければならないのは、慰安婦像の増設や移転に使われることである。

 韓国が慰安婦問題を人権問題として本当に真剣に世界に働きかけたいのであれば、どうして今まで日本や台湾などの元慰安婦にも呼びかけて訴えかけなかったのかが不思議だった。 仮に呼びかけたのであれば、その経緯も含めて世界に働きかければ良かったのではと他人事ながら考えていた。
 日本政府が、韓国の元慰安婦支援をするということは、日本や台湾などの元慰安婦にも同様の支援をすることになる。 外国人だけを支援して自国民を無視するような理不尽なことはまさかしないだろう。

3.最終的かつ不可逆的な措置
 不可逆的という言葉は、化学用語としては分かるが、ここでの使用は法律用語のようだが理解できない。 再び問題にすることはしないとのことのようだ。 前にも言ったとうり、大統領が変わったり、民意が振れたりすることによって、簡単に方針が変わる韓国政府にそれを求めることは無意味のような気がする。

 慰安婦問題は、もともと政府というより一部団体が主張していることのようであり、これを韓国政府が約束するというのも、中国なら分からないでもないが、変な話である。 韓国政府が裏で糸を引いていたのかと思ってしまう。

 日本側も同様で、政府が何と謝罪しようと事実は変わるわけではないので軍の関与がなかったという論調はなくならないと思われる。 このことが韓国側から日本側が約束を反故にしたという口実を与えることにならないだろうか。

 韓国側の不可逆的行為というのは何を意味するのだろうか。 何もしないということではなく、少なくとも世界にばらまかれたという慰安婦像すべての撤去や慰安婦に関する教育内容の是正などがなされなければ、不可逆的の意味はないと考える。

 日米韓としては、中国対応という緊急課題を抱えているだけに、日本としてのある程度の妥協が必要なことは理解している。 だからといって、中国に寄り添ってみたり、不当な我がまま放題を言ったりしている韓国政府に対して、日本の名誉を傷つけてまで妥協する必要性があるのだろうか。

 10億円で解決できれば安いもの、との考えなのかもしれないが、間違っていることは間違っていると毅然と指摘すべきではないだろうか。 暴力団対策法ではないが、悪いことをされたらお金で解決するという習慣はそろそろ改めていただきたいものである。

 我々も、これからの複雑な時代にあって、目先の課題に対して、小手先で乗り切ることだけを考えるのではなく、方針や長期戦略に則って、何が正しいかを考え、行動していきたいものである。


―2015.12.31―