横綱白鵬関をめぐる諸問題について

Last-modified: Tue, 01 Jan 2019 20:37:10 JST (1964d)
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 「諸問題」と言っても、別に横綱に問題があると言いたいわけではないが、気のせいか、今年になってからいろいろな問題が急に噴出してきているように感じられる。

 白鵬関の6場所連続優勝はすごいことだと敬意を表し、まずは「おめでとう」と言いたい。

 横綱すべてがそうだとは思わないが、多くの歴代の横綱は国籍に限らず孤独なものだと想像しているが、そのことを踏まえても白鵬関にはいくつかの課題があるようである。

・どれほど大相撲等に尽くしても、日本のファンにとっては外国人でしかない
・初場所での稀勢の里戦との取り直しへの批判について
・春場所での稀勢の里戦における「変化」について
・モンゴル語スピーチの誤訳による日本のマスコミ批判
・引退後、親方になるためには帰化しなければならない
 等々

(1)どれほど大相撲等に尽くしても、日本のファンにとっては外国人でしかない
 これはある意味仕方のないことだと思慮する。
 同じように活躍していても、モンゴル力士はモンゴル人からは日本人以上に応援してもらえると想像する。 逆も真である。 おそらく、米大リーグでの日本人野球選手なども同様だと推察する。
 ただ、多くの大相撲ファンの日本人は白鵬関のファンではないかと勝手に想像している。

(2)初場所での稀勢の里戦との取り直しへの審判部批判について
 これはどのスポーツでも言えることだと思慮するが、審判部への批判は大横綱でなくともするべきではないと思慮する。 まして、大相撲の場合は、複数の先輩が協議して判定しているのだ。

(3)春場所での稀勢の里戦における「変化」について
 これは、白鵬関自身が「変化」ではないと説明しているので、そうなのだと思慮する。 大一番を期待していたファンとしては、白鵬関に対するものというより、稀勢の里関への期待を裏切られたことへのブ―イングだと思慮する。 この稀勢の里関への過度の期待に対しても、白鵬関としては不満なのかもしれない。
 ところで、横綱は「変化」をしてはいけないのだろうか。 たしかに大鵬関は「変化」をしなかったようだが、だからといって白鵬関にもそれを同様に求めるのは筋違いではないだろうか。

(4)モンゴル語スピーチの誤訳による日本のマスコミ批判
 日本のマスコミが誤訳したのであれば、そのマスコミが悪いと思慮する。 人にはミスが付きものかもしれないが、人を批判する場合は特に慎重にしなければならない。 また、一般論だが、マスコミのミスによって迷惑を掛けたのであれば、マスコミは素直に明確に謝っていただきたいものである。

(5)引退後、親方になるためには帰化しなければならない
 親方になるためには年寄名跡の襲名が必要で、例え「一代年寄」であっても日本国籍が条件だそうである。 なぜ日本人でなければいけないという規定が存在するかは知らないが、外国人が「一代年寄」になることを想定していなかっただけなのではと思慮する。

 「一代年寄」を与える場合に限って、例外として外国人でも良いという規定に変更すれば良いのではないだろうか。

 大相撲は単なるスポーツではなく、神道行事としての側面を持つ。 神道は一般的には日本人のものである。 特に戦後ではすべての日本人が神道信者であるわけではないが、日本人以外は神道信者ではないというかってな前提を置いているのではないだろうか。 そのため、神道信者ではない外国人に年寄名跡を襲名させるわけにはいかないのではないだろうか。

 であれば、単なる形式的な帰化よりも、神道信者であることを求めれば良いのではと思慮する。 ちなみに、神道信者であるためには、他宗教の信者であってはならないという必要はない。 大相撲を単なるスポーツではなく、宗教的行事として存在することを理解していただければそれで良いのである。

 ところで、外国人である白鵬関が数字の上で大鵬関を抜いたことを契機に大相撲のグローバル化を少しずつでも検討していただきたい。 モンゴル力士に限らず、これだけ外国人力士が増えているのだから、外国力士対応というか、大相撲のグローバル化を早急に検討する必要があると思慮する。

 私見として、次のように提案したい。

・大相撲は単なるスポーツではなく、神道に則ったものであることを維持するが、日本相撲協会の理事は日本人の元力士による閉じられた構成ではなく、常勤理事についても外部からも登用したオープンな構成とし、組織の改革と強化を図る。

・本場所は物理的に年6場所が限界だと思われるが、そのうちの1~2場所の開催地を固定せず、公募制とし、要望により海外でも開催可能にする。

・相撲部屋についても、親方や本拠地の国内等の制限を外し、参加条件を緩和する。 ただし、大相撲に参加するためには、大相撲に対する理解とそれなりの勝負に耐えられる体力と技を保有していることを仕組みとして現状以上に事前確認する。

・参加力士が、たとえ勝負に勝っていたとしても、大相撲に対しての理解がないと協会が判断した場合は、参加を認めないなどの規程を設けておき、外国人にもある程度説明可能な状況にしておく。 また、参加力士に対して、協会が拘束するのではなく、地方巡業はもちろん、本場所への参加も自由とし、開かれた状態にする。

 グローバル化することによって、ドーピング問題など、今まで阿吽で済ませていたことが済まされなくなる。 この機会に大相撲とは何か、ファンにとって何が護るべき大切なものであって、グローバル化によって変えることが可能なものは何かを原点に返って考えていただきたい。

 日本人力士が中心になっての大相撲協会の運営には限界が来ていることを自覚し、既得権益を放棄する時期が来ているのではないだろうか。
 これを機に、考え直していただきたい。


―2015.3.25―