葬儀等におけるお坊さん委託サービスについて思う

Last-modified: Thu, 08 Nov 2018 15:39:50 JST (2018d)
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 最近、葬儀や法事等において安くて便利な「お坊さん」委託サービスが出来ているそうだ。
この「お坊さん」委託サービスの特徴から考えてみる。
(1)お布施・戒名は定額・追加料なし
(2)読経ごとのお付き合い
(3)紹介料は無料

1.お布施・戒名は定額・追加料なし
 料金の事前明示と追加料金なしは、ビジネスとして見た場合、明瞭会計の基本である。 サイトを見ると各料金には「税込」と表示してあるので、この「お坊さん」委託サービスは、純粋ビジネスとして運営しておられるのだろう。

 ビジネスであれば、売上には消費税、収益には法人税等が納められていると思慮する。 「お坊さん」と呼ばれている方は、本売上の一次業者になるのか、サイト管理者である葬儀業者の下請業者になるのかは知らないが、利益を生む副業として納税義務が発生すると思慮する。

2.読経ごとのお付き合い
 ビジネスとして見た場合は何をしても自由だが、宗教(仏教)として見た場合は「檀家制度」の否定になる。 檀家制度は、一種の排他的な独占システムであり、寺院保護の立場から江戸時代に構築されたシステムだと思慮する。

 神道の場合は、地域に根差した神社もあるが、一般には「七五三」や初詣、結婚式などについて、参拝者は自由に神社を選択しており、ある意味、競争の原理が働いている。 電力の自由化と一緒にするのもいけないかもしれないが、競争の原理を排除した檀家制度は現在の日本仏教会を弱体化させた要因の一つではないかと思慮する。 この点については、この機会に仏教界として反省する必要があるのではないだろうか。

3.紹介料は無料
 紹介料が無料ということは、葬儀業者がお客様から紹介料をいただかないということだろう。 この意味は、葬儀業者が紹介料を一切もらわないということか、「お坊さん」から別途バックリベートを取るということかは分からない。 葬儀業者が、何らかの事業として成り立つ仕組みがあるのだろうから、これによってビジネス行為か宗教行為かの識別にはならないと考える。

 近年の日本の葬儀形態は、読経等の僧侶にまつわる宗教行為と葬儀場という設備提供を行う葬儀業とに経教分離することによって、葬儀業が発展してきた。 宗教儀式を行うにふさわしい葬儀場としての霊的磁場の構築を誰が担当するかが本来ここで課題となる。

 当初、この霊的磁場の構築は寺社側の責任範囲だったと思慮するが、寺社側の責任意識も曖昧になり、葬儀業者任せになってきて、現在に至っているのではないだろうか。 そのツケとして、読経等の僧侶の担当分も葬儀業者が担当することになり、「お坊さん」委託サービスが発生したのではないだろうか。 本来、葬儀が宗教的儀式である以上、いくら経教分離を推し進めたとしても宗教部分がメインであることを変えるわけにもいかず、葬儀業者が100%肩代わりすることはできない。

 もう一つは、「お坊さん」が行えば宗教儀式と言えるのかという課題である。 例えが良いかどうかは分からないが、宗教というのは一種の家元制のようなものであると思慮している。 例えば、仏教であれば、教祖である釈迦から師弟制度として連綿と続いている弟子が宗教行事を行うことに意義がある。 この弟子に宗教行事を行う資格があるかどうかは別として、弟子でない者が宗教行事を行うことはできない。

 例えば、牧口常三郎氏や戸田城聖氏がどれだけ立派な人格者であって、創価学会が宗教法人であったとしても、創価学会に連綿と続いた釈迦弟子がいない以上、創価学会は仏教行事は行えないのである。 同様に、モルモン教もキリスト教行事は行えないと思慮する。

 最近、歌舞伎役者がテレビドラマ等に出演することが多くなってきた。 ドラマ等に歌舞伎役者が何人出演していたとしても、それは一般のドラマ等であって、歌舞伎ではない。 同様に「お坊さん」委託サービスで何人「お坊さん」が出演していたとしても、仏教界が認可しないものは仏教行事ではないと思慮する。

 葬儀業者は、この「お坊さん」委託サービスが仏教行事ではないことを事前にお客様に説明しなければ、「詐欺行為」になると思慮する。

 葬儀業者はこのことを謙虚に受け止め、仏教界と連携を深めて葬儀等を支援していただくことを期待する。 仏教界においても、現状の信者のニーズに応えていないという現実を是認し、単に葬儀業者を非難するだけではなく、葬儀業者の協力を得ることを考えていただきたい。 「お坊さん」は単なる読経マシンに陥るのではなく、自身が宗教者であることをこの機会に原点を振り返り、仏教界の一員として葬儀業者と接していただきたい。

 死者と接する葬儀こそが、誰もが宗教と接する最高の機会であり、この機会を「お坊さん」たち自らが奪うことだけは、絶対に避けていただきたいと切に願うものである。


―2016.3.9―