表現の自由や報道の自由とテロについて思う

Last-modified: Tue, 01 Jan 2019 21:25:00 JST (1964d)
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 パリ中心部で銃の乱射事件が発生した。
 報道によると、イスラム教の預言者ムハンマドを題材にした風刺画などを掲載したことによる報復ではと言われている。
 それに対し、各国先進国政府は、「民主主義および報道の自由への攻撃だ」と批判しているようだ。 果たしてそうだろうか。

 殺人(テロ)行為は批判されるべきだと思慮するが、本当にこの行為は、「民主主義」、「報道の自由」や「表現の自由」などへの攻撃だとして批判されるべきことなのだろうか。
 「民主主義」を言うなら、批判している各国政府は、世界のイスラム教徒に対してそれ程「民主主義」的に接しているだろうか。
 あえて譲歩した言い方をすれば、「多数決の論理」で黙らせてはいないだろうか。

 「報道の自由」や「表現の自由」などについても、仮に、イスラム教徒などが、キリスト教の預言者の風刺を執拗に行って、その報復を受けたとしたら、同様に「報道の自由や表現の自由への攻撃だ」と批判するだろうか。

 昨年、北朝鮮の金正恩第一書記の風刺映画の放映に関して、サイバー(テロ)攻撃などが発生した。
 このときも、米政府などは、「表現の自由」などを擁護するとして、北朝鮮を非難した。
 テロ行為はいけないことだと認識するし、民主主義擁護の観点からも北朝鮮は非難されるべきだと思慮するが、「表現の自由」の擁護として非難されるべきなのだろうか。
 仮に、北朝鮮が米大統領の風刺映画を作成して、世界にばらまいたとしたら米国は表現の自由を擁護するのだろうか。

 いつものことではあるが、フランスの風刺画や米国の風刺映画を見ていないし、各国政府の発言を原語で聴いているわけでもないので、正確なところは分からない。

 しかし、学校で、寄ってたかって一部の生徒に対して「いじめ」が行われ、最後にその「いじめ」に対して暴発した生徒が暴力を振るったときに、いじめた生徒たちに対しては擁護し、その暴力を振るった生徒に対してのみ批判するという、いじめの共犯教師と同様に見えてしまう、と言ったら言い過ぎだろうか。

 「報道の自由」や「表現の自由」を本当に守りたいと考えているのであれば、産経新聞の前ソウル支局長起訴問題も、是非、同様の強さで取り上げていただきたいものである。


―2015.1.8―