日本相撲協会に思う

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 18:30:57 JST (2019d)
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 「白鵬関」が全勝優勝した。 12度目の全勝優勝、37度目の優勝だそうだ。 周りがだらしないということもあるのかもしれないが、やはり強い横綱である。 「白鵬関」自身のことや日本相撲協会への提案については、一度投稿しているので、ここでは省略する。

 「白鵬関」は、この優勝会見で最後まで優勝を争って敗れた「稀勢の里関」に対して横綱になるには何か足りないものがあると何度か指摘している。 勝てば官軍だという一部の声もあるようだし、本当にこれが原因かは分からない。 だとしても、「稀勢の里関」など横綱を目指す上位力士は素直に「白鵬関」の忠告に耳を傾ける必要があると考える。

 優勝できないから横綱になれないとか、何勝できなかったから横綱になれないという話はよく耳にするが、横綱として足りないものがあるから横綱になれないという指摘に、新鮮味を感じる。

 かって、外国人横綱に対して、ただ強ければ良いというものではないと指摘したことに対して、それは外国人差別ではないかと論争になったことが何度かある。

 今回は、外国人横綱が日本人力士に対して言っている。 「白鵬関」は以前から常々思っていたことを今回の堂々の優勝を背景に発言したのではと想像する。 あるいは、この発言をするために今回力士会会長を辞任したのでは。 これは考えすぎだろうか。

 このようなことは、本来、親方や理事などの年寄が指導すべきことであり、現役力士が公の会見でわざわざ言うようなことではない。 この指摘には、日本相撲協会幹部の不甲斐なさと「白鵬関」の責任感の強さを感じる。

 たまに見るNHKの「北の富士氏」の解説のいい加減さにはいつも驚かされる。 一般スポーツの場合は、客観的データの提供はアナウンサー担当のようだが、客観的データでは表せない選手情報等につては解説者が事前に取材して、試合中で解説の一環として話題にするのが一般的だと考えるが、「北の富士氏」には全くその気配を感じない。 一体どこの組織の人だろうかと考えてしまう。 自分はNHKアナウンサーの上司だとでも思っているのだろうか、あるいは、どこかの年金生活のご隠居さんかと思ってしまう。
 「舞の海氏」の解説については、安心して聞いておられるのがせめてもの救いである。

 「白鵬関」の昨場所での下位力士に対する取り口について、「北の富士氏」は余裕の取り口だと言い、「舞の海氏」は勝ちにこだわった必死の取り口ではないかと「北の富士氏」に対して遠慮がちに真逆の見解を示していたのが印象に残った。 後日の「白鵬関」の話では、下位力士と戦う場所前半には、右足親指に痛みがあったため、あのような戦い方になったとのことである。 これは顕著な一例だが、このような「北の富士氏」のいい加減な解説はいつものことである。

 これらは「北の富士氏」など個々人の問題ではなく、日本相撲協会全体の組織としての緩みの問題ではないかと考える。
 歌舞伎の世界では、日本文化を維持しながら、海外も含めた外部との交流も行い、常に新しいことをトップ自ら積極的に取り入れているようである。 また、日本舞踊の「花柳流」では、内部しか見ていない者と外部を経験している者との跡目争いをしているようである。

 「北の湖氏」が亡くなって、改革がまた後退するのではと危惧している。 理事長選挙で敗れた「貴乃花氏」には、協会に対してどのような考えがあったのかは知らない。 新理事長の「八角氏」には、「白鵬関」など力士に寄生しているだけの道楽仕事のような協会にして欲しくない。 他のスポーツなどを参考にしたり、外部の人材を入れるなどして、もっと厳しい協会運営を期待したいものである。

 「白鵬関」の引退を機に日本相撲協会の経営をモンゴル人に任せることも検討した方が良いのかもしれないと言いたくなる。
 国体の強さの象徴として日本相撲協会に期待するのは酷なのだろうか。

※<訂正>
 「北の富士氏」および「舞の海氏」は、既に日本相撲協会を退職していることを知らずに投稿していた。 両氏の発言等に対して、公益財団法人日本相撲協会に批評めいたことをするのは筋違いである。 とは言え、NHK等も含めた相撲協会周辺への問題提起としては、それほどずれていないと思慮しているので、ご容赦していただきたい。


―2016.5.25―