日産自動車元会長のゴーン容疑者の動画による声明に思う

Last-modified: Wed, 10 Apr 2019 22:24:05 JST (1851d)
Top > 日産自動車元会長のゴーン容疑者の動画による声明に思う

 日産自動車(日産)元会長のカルロス・ゴーン容疑者の動画による声明が公開され、その全文を弁護団側の翻訳に基づく和文で読んだ。 予想どおり、まず最初に「無実」を訴えていたが、法廷戦略上の問題か、容疑者としての制約があるのか、後半の釈明を仮にすべて信じたとしても、それがどうしたというのかというか、どう無実につながるのかの説明には到底なっていない、内容のないものだった。

 第1点目として、ゴーン氏は日産を愛しているそうだが、もしかしたら、日産役員たちの中で最も日産を愛していた方だったかもしれない。 だからと言って、それが「無実」であることにはならない。 ゴーン氏が日産に来る前、当時の日産の問題点の一つとして、日産役員は日産の自動車を愛していないということが言われ、ゴーン氏の特徴の一つとして他の役員より日産の自動車を愛していたことが挙げられていたことを思い出す。

 第2点目として、ゴーン氏が日産を立ち直らせたこと自体は評価できるが、それはせいぜい最初の5年か10年程度のことであり、その後の10年以上は、ゴーン氏の報酬に見合う功績として何があったのだろうか。 前半の功績にあぐらをかいて、日産から暴利をむさぼっていただけではないのかと思うが、これもだからと言って、有罪や無罪とはまったく関係ない。

 第3点目として、日産の日本人役員の中に、ゴーン氏に独立性を脅かす「怖れ」を感じていて、排除しようとしたのだそうだが、だからと言って「無罪」の説明にはならない。 ゴーン氏が長期にわたって、巧妙に多額の不正を行っていたとしても、日本人役員や監査役たちがまったくそれに気づかなかったというのは信じられないし、仮にそれが本当だとしたら、よほど無能だったということだ。

 現実的に推察されるのは、主な役員はうすうす気づいてはいたが、それを「不正」として指摘するだけの「勇気と情報」がなかったことだ。 その勇気を与えるきっかけとなったのが、日産の独立性であり、自らの役員としての地位が脅かされるという脅威だった可能性はある。 情報については、検察との協力によって確信するに至ったのだろう。 日本人役員は、直接自らの手を汚さずに対処を検察に丸投げして、目的を果たそうとしたと考えるが、だからと言ってゴーン氏の「罪」が許されるわけではない。
 ゴーン氏は日産の独立性が19年間脅かされたことがないというが、ゴーン氏が19年間日産に居座っていること自体が、彼らにとっては独立性を脅かし続けていたことになるのだろう。

 日産の業績が振るわず、不祥事が多発していたというが、これに対するゴーン氏の説明が過去なかったような気がするが、高額報酬を受け取るだけで、責任はないというのだろうか。
 日産や三菱の日本人役員は、トヨタやホンダと違って、未来ビジョンや業績向上のビジョンもリーダーシップもないというのは、おそらくゴーン氏の言うとおりであり、ゴーン氏の「不正」にも何も言えない「イエスマン」だったのではと推察し、これは非常に悲しいことだ。 ただ、日本にはフランスとは違う日本のやり方や良さがあることも事実だ。

 ゴーン氏の日産への貢献を無視し、高額報酬を妬んでいるだけだ、という見方もあるが、ゴーン氏は日産に来た当初数年の成功体験に驕り、墓穴を掘ったというのが真相ではないだろうか。
 ゴーン氏の声明が正しいとしても、何ら彼の「無実」の背景説明にはならないことをここで言いたかったのであり、日産役員の誹謗中傷が目的ではないことを最後にお断りしておく。
 担当の裁判官は、フランスなど諸外国からの圧力に屈せず、日本の裁判として独立性を保ち、公正性の保証された裁判を期待する。

参考


―2019.4.10―