東京都知事選での政治的公平性について思う

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 17:55:50 JST (2019d)
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 東京都知事選で小池百合子氏が圧勝した。 マスメディアの予想通り、主要三候補はそれぞれ百万票超を獲得し、4番目以降の候補は3番目の候補の十分の一程度の票しか獲得できなかった。

 このような得票結果が予想されたから、マスメディアがそれに応じた報道をしたのだろうか。 それともマスメディアが各候補者をそのように報じたからそのような得票結果になったのだろうか。 どちらかは分からない。 仮に、マスメディアが事前に適切な予想をしたからだとしても、それに応じて差別報道をすることは、政治的公平性に欠けるといえるのではないだろうか。

 国政選挙では、真偽のほどは定かではないが、政党要件を満たしている政党の候補と政党要件を満たしていない政党の候補とでは明確に差別して報道するそうだ。 ここでの政党要件とは政党交付金の対象となる政党の要件であり、選挙報道とは何ら関係があるとは思えないものである。

 これ自体も理解できないが、このような知事選の場合では政党要件はあまり関係ないと思われる。 今回のように21名もの立候補者が出ている場合、公平なメディア報道を心掛けようとすれば大量の時間を必要とし、各候補者に公平に時間を割こうとすれば、一候補に向けられる時間は極めて少なくなると思われる。 そのため、メディアが予想した主要候補を中心として報道する方法がやはり合理的なのかもしれない。

 しかし、このやり方では、このメディアの予想は本当に適切なものか、何を基準としたものかが課題として残る。 また、メディアの予想が適切だったとしても、これでは候補者の当初人気でメディア報道が決まってしまうことになる。 これで、政治的公平性を保つことになるのだろうか。

 メディアが本当に政治的公平性を保とうとすれば、各候補に対する報道は実質的には控えるしかなくなり、個別候補に言及しない選挙全般の報道しかできないことになる。 その代替処置として、候補者による公開討論会をそれぞれのメディアで開催していただきたい。

 メディアは全候補者に声掛けし、候補者に参加の有無を決めていただくようにすればよいと考える。 今回のように候補者が多数で、全候補者が一堂に会することが難しいようであれば、幾つかのグループ分けをしなければいけないかもしれない。 グループ分けを行う場合は、メディアとしての思惟性を一切排除し、毎回違ったグループ分けである必要があると考える。

 前回の参院選で、某政党党首から選挙期間中の公開討論会不参加発言があったようである。 この党首の発言により、主要な党を除いた公開討論では政治的公平性を欠くとの配慮からか、マスメディアは選挙期間中の公開討論を断念したようである。 だとすれば、このメディア対応の判断はずれていないだろうか。

 選挙期間中は全党・全候補者に発言の機会を平等に与えるのが、機会平等としての政治的公平性だと思う。 党・候補者を公平に扱うために公開討論の実施を中止したり、メディアが有権者の念いをかってに忖度して一部候補の報道に偏向したりするのは、結果平等の追及にしかならないのではないだろうか。

 メディア等の主催による公開討論が選挙運動の中心になるような選挙に、これからは変えていただきたいものである。
 ただ、前にも言ったが、マスメディアに政治的公平性を求めるのは止めたほうが良いと考えている。 政治的公平性とは何かを示さずに公平性を求めるのもおかしいと思うし、メディアも外部から政治的公平性を規定されるのも嫌だろうと思われる。
 マスメディアには、もう少し真剣にそして謙虚に政治的公平性について、改めて考えていただきたいものである。


―2016.8.1―