某中学校長の二人出産発言に思う

Last-modified: Wed, 07 Nov 2018 18:49:15 JST (2019d)
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 某中学校の全校集会で校長が「女性は、子供二人以上産むことは、仕事以上に価値のあることだ」と話したことが波紋を呼んでいるそうである。
 驚いたことに、市教育委員会は不適切な発言として処分?を検討しているそうである。 価値観が多様化しているなか、画一的・硬直的な発言をしたことは、配慮を欠いた発言と言わざるをえないそうである。

 いったい、社会人の何割が校長の訓話などをまともに記憶しているだろうか。 仮に記憶していたとして、どれだけが社会に出てからその訓話を真剣に守ろうとしているだろうか。 その程度のしかも強制もしていない話が、なぜこれほど批判を浴びなければならないのだろうか。

 校長の訓話というのは、一種の人生訓であることが一般的だと思慮する。 価値観が多様化している時代に、自分の価値観を押しつけるなと言われたら、校長は人生訓など生徒の前で話せなくなる。
 泥棒はいけないとの訓話をするとして、過去に泥棒としての犯罪歴のある親がいるかもしれないとの配慮が欠けているなどと言われるとしたら校長は何を言えばいいのだろうか。 人生訓を話さない校長の訓話?に何の価値があるのだろう。

 近年、当たり障りのない番組(メディア報道)が増えてきているのもこのためだろうか。 そういえば、最近、「お坊さん」の法話がなかったり、あっても当たり障りのない世間話的な法話だったりすることが多々ある。 言われた通りお金を払うから、「お坊さん」は読経をしたらさっさと帰ってくれという風潮も、このためなのだろうか。 つまらない世の中になったものである。

 夫婦二人で、二人以上の子供を育てるのは、当たり前のことである。 「二人以上出産発言」に批判的な人が言うように産みたくても産めない方のことも考慮に入れれば、三人以上産む必要があるくらいである。

 あの校長先生が言われるとおり、子供を産み育てることは、一般の仕事でキャリアを積むより価値のあることである。 確かに、いろいろな事情で産みたくても産めない方は仕方ないと思うし、仕事を優先して子供を産まない選択をされた方もおられると思うし、これはその人の自由である。

 子供を産むか、仕事を選ぶかの人生の選択に迫られたときに、子どもを産み育てるという価値あることを犠牲にしてまでの意義のある仕事なのかの検討はしていただきたいと思慮する。
 また、肉体的理由で子どもを産めないというご夫婦は、せめて養子(里子)を受け入れても子育てだけでも経験をされた方が有意義な人生を送ることができると思慮する。

 不毛な「言葉狩り」を行って、重要な話題をはぐらかすようなことだけは避けていただきたいものである。


―2016.3.15―